人見知りでコミュ症の自分という人間
幼少期の頃から変わらない事があって、それが超人見知りのコミュ症で根暗な性格だと言うことです。
物心ついた頃から変わらずで、小学校も入学式からサボろうとしていました。まぁ母ちゃんに引きずられてイヤイヤ参加しましたが、集合写真は逃げました。
後日デカデカと写真の右上に貼られてちゃって逆に目立つ形となりましたが、今ではいい思い出です!
そんなこんなで、小学校も行ったり行かなかったりを繰り返していました。
他の同級生ができる事が自分には出来ないという劣等感を感じたまま学校生活を送っていたので、辛かったですね!
中学校も超絶人見知りを抱えたまま通っていたので、精神が疲れてしまいました。
中学2年の時に不登校になってそのまま通う事なく卒業しました。
今思えば無理して通えば良かったと思うんですけどね、当時は無理でした。
そのまま就職する気も無かったので、取り敢えず夜間の定時制の高校に入学しました。
2年間も学校に通わなかったブランクと老若男女様々な年齢層の方々が通われているのと、それから夜に通わなければいけないというギャップにやられて、半年ほどで辞めました。
僕の通っていた定時制高校は、僕も含めて半分以上の人が辞めていました。やっぱり仕事と両立しながら勉強するのは、大変なんだなぁと思いました。
それから、全日制の高校に行こうと勉強をして1年遅れで高校に入学しました。
でもやっぱり当時は、年下の奴らと何で一緒の机で学ばなければいけないんだと言う葛藤があり、せっかく受かっても通えず休学扱いにしてもらいました!
それから1年が過ぎて3回目の春を迎えた頃にまた一年生からやり直しました。
年齢が1コ下と言うだけでイヤなんですが、それが2コ下というのは益々イヤになりましたけど、やっぱり高卒という資格が欲しかったのでプライドなんか捨てて無理して通いました。
で、卒業式を迎えた時は、もう通わなくてイイのだなと張り詰めた糸が切れたかのようにホッとしました。
それからは実家から車を運転して毎朝大学に通っては見たものの超絶人見知りとコミュ症が未だ治らず、それから人が多いとドキドキが止まらない症状も出てきて苦しくなったので早々と辞めてしまいました。また新しい環境にも順応出来ませんでした。
その後は、アルバイトしたりしなかったりとフラフラと生きています。
人生100年時代ですからね、取り敢えず頑張り過ぎず自分のペースで考えながら歩んで行きたいと思います。
おわり